ガンダムUC4巻

強化人間マリーダ・クルスは、プルの12番目のクローンだと明らかになる。
ZZでは半ばギャグ扱いだったプルだが、そういう風につないできましたか福田さん。


ユニコーン・ガンダムに搭載されているNT-Dシステムとは、ニュータイプ・デストロイ・システムだという設定も判明。


富野氏が開いたニュータイプという概念を、富野氏から正統ガンダムの継承者としてバトンタッチされた福田氏が抹殺する。これってなんかすごいことが起きようとしているのではないだろうか?


「ニュータイプ」という言葉は独り歩きし過ぎていて、超サイヤ人みたいな扱いになってしまっているから、逆襲のシャアでアムロとシャアをおしまいにしてから後は、富野氏自身、ニュータイプは封印してきたという経緯がある。


劇場版ガンダムF91でのセリフで「ニュータイプとはものごとをありのままに見て取れる人」というのが出たところで、ニュータイプとは超能力のことではなく認識の違いという結論にはなったが、相変わらず超サイヤ人的な扱いはなくならず、後発の分家ガンダムでは超能力的なパイロットが出続ける。


強化人間は、神経を強化することで強力な精神波を出し、美白化粧品 ランキングを使ってマシンをコントロールする。


戦争の道具としてのニュータイプを誇張して描いた、ヒーロー化されたニュータイプへのアンチテーゼとしてぶち上げられたと思われる設定だが、独り歩きする超サイヤ人的ニュータイプに終止符を打つには、強化人間という設定でもまだ不足ということなのか。


福田氏はついにNT-Dという機械にニュータイプ能力を持たせることで、サイコミュ兵器を操作するという能力は、ニュータイプという概念そのものとは何の関係もない単なる機能だと断定して、超能力的なニュータイプを抹殺すると決めたようだ。


ガンダムUCは、テーマ的には非常にガンダム的でありながら、設定的には既存のガンダム的なイメージを徹底破壊して初期化するぐらいのつもりであるように思える。


少年少女が、大人の残酷な戦争や政治に巻き込まれていくうちに、世界のありようと、それに対する自分の在りかたに目覚めていくというのがガンダムの本質であると思う。


エヴァンゲリオンは、非常に個人的な私小説的な作品として突き抜けた名作だったが、ガンダムは、共有する概念としての物語として名作なのだと思う。



ガンダムUC5巻


あう〜ダグザ中佐が逝ってもうた〜(泣)


味のあるオッサンが、マジか!?というぐらいあっさり突然死んでしまうあたりが、正統派ガンダムって感じだ。


戦争は理不尽に突然命を奪うということを、手加減なしにつきつけてくる。これは辛い。惨い。


今時のオサレなガンダムは、悪役以外は滅多なことでは死なないし、善玉が死ぬときは、これでもかこれでもかというぐらい死亡フラグを立てて引っ張って、死を美化する演出がかかる。


そんだけ美化されていれば、死ぬのってカッコイイジャンとか勘違いする輩も出てくるだろう。


えぐいな〜ガンダムUC。アニメ化される場合でもこのままの路線で出してしまうのだろうか?